🌊 宝箱仙人伝説
「おぬし、99%じゃな……」
あの一言で、すべてが止まった。
海底に住むあの「宝箱仙人」。
彼の言葉は、僕の心を静かに、しかし確実に破壊した。
99%。
あと1%。
多くのプレイヤーなら「まぁいいか」で済ませる。
でも、僕は違う。
僕は数字と完全性と、そして非合理な執念に取り憑かれた男。
その瞬間、僕がやっていたのは「ゲーム」ではなく、
自分という存在の限界との対話だった。
🔁 宇宙をやり直す
そして僕は──常人なら絶対にやらないことをやった。
最初からすべてをやり直した。
すべてのダンジョン。
すべての宝箱。
効率の名のもとにスルーしてきた、あらゆる分岐路。
「進行」だと思っていたものは、実は「汚染」だった。
僕が求めていたのは、純度。
ひとつの宝も取りこぼさない、完全なる秩序の世界。
作業は何日にもわたった。
だが、ひとつ宝箱を再び開けるたび、
世界が少しずつ整っていく感覚があった。
そして、ついにあの瞬間──
「100%。おぬし、やりおったな。」
その言葉は、ただの確認ではなかった。
それは再誕だった。
僕はあのとき、運でも才能でもなく、
規律によって悟りの境地に達したのだ。
🧠 完全性の哲学
人はよく、完璧主義者を「支配欲の強い人」と誤解する。
だが、本当の完全主義とは**支配ではなく共鳴**だ。
混沌としたシステムのすべての要素が調和したとき、
そこに生まれるのは、理屈を超えた静けさ。
あの瞬間、僕は感じた。
宇宙がカチッと噛み合う音を。
宝箱も、ピクセルも、選択も──すべてがひとつに重なる。
それは「楽しい」ではなく、「超越」だった。
FF5は僕の反射神経を試したのではない。
それは僕の忍耐と構造、そして信念を試したのだ。
そして僕は学んだ。
「完璧」は楽しさの敵ではない。
むしろ──楽しさの究極形なのだと。
🌅 共鳴のあとに
ゲームの目的は、逃避でも競争でもない。
それは自己を見つめる鏡だ。
最後の宝箱を開け、世界が「100%」と告げた瞬間、
僕が証明したのはゲームに対してではない。
それは自分自身への証明だった。
そして気づいた。
あの宝箱仙人は、ただのドット絵の老人ではなかった。
彼は──僕自身だったのだ。
すべての宝を取りこぼせない頑固者。
すべての“あと1%”に人生をかける変人。
その姿にこそ、真の共鳴がある。
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